中国は日本ではありません!逆もまたしかり

日本という国は小さい島国です。それなのに世界でも知名度は比較的高い。これは先達たる先輩方の努力の賜物と言えるでしょう。企業だけでなく個人としても国際社会に貢献しており、ボランティアや技術の提供を行ってきました。企業であれば今後の市場開拓の意味もあるとは思いますが貢献していることは間違いありません。

とはいえ、日本のことを知らない人だって大勢います。私の感覚では中国のほうが有名ではないかと思います。良い意味でも悪い意味でも有名です。それに日本が中国の影響を受けていたのは紛れもない事実です。

しかし現在では日本独自の進化を遂げています。独自の倫理感を持ち、独自の文化に変化し、独自の伝統を継承しています。ですから日本と中国を一緒にされるというのは日本人としては気持ちが良いものではありません。これは中国から見てもそうでしょう。

でもですよ?日本人ってあまり愛国心ってありませんよね?かくいう私もあまりありません。それでも日本をバカにされると腹が立ちます。ということは愛国心はある、ということなのでしょうか。

まあ、そんな話しはどうでもいいのですが日本と中国は国の大きさも違えば思想だって違います。文化もそうですね。中国という国が良いか悪いかという是非は置いておき、やはり自国が一番という思いはあります。やはりこれは愛国心でしょうかねえ。

私事ですが中国史は面白いですし好きです。『封神演義』や『三国志』・『水滸伝』は有名でしょう。他にも学生時代に習った『項羽と劉邦』などの面白い話しが沢山あります。それに中国史を読むと日本にある故事の裏側を知れるので非常におもしろいと感じます。

だとしても、それとこれとは話しは別です。中国史が好きだから日本と中国を混同されて嬉しいわけがありません。中国は中国で、日本は日本だ、と声を大にして言いたい。

とグダグダと書いていても仕方がありませんのでサクッと進めていきます。海外の人が見た中国人は、多くの日本人が感じているかもしれませんが「マナーが悪い」と言われています。どこでも迷惑をかけている、みたいに思われているようです。

ですが私が感じたのは、「ゆとり世代」の一部の若者より格段に上だということです。何度か中国人から道を聞かれたことがありますが不快な思いをしたことはありません。片言でしたが日本語で伝えようとする気持ちは嬉しいものですね。もっともゆとり世代と言っても大半は良い子なんですけどね。

日本でも年齢を問わず言葉使いが悪くて傲慢で相手を思いやれない人はいる。中国にも他人に迷惑をかけないように振る舞っている人はいます。ただ、そうはいっても程度の問題です。中国人が海外で迷惑をかけているのも事実です。荒ぶる中国人のせいで迷惑をこうむった日本人もいます。

大抵の場合は「日本人です」と答えると対応が変わるみたいですからその点は問題ありません。中には日本人のふりをして悪さをするアジア人がいるみたいですがそれも別の話しです。

そして中国と日本を混同する人はどちらの国にも興味がない人です。先入観を持っていないので嫌な目に合うことはありません。そういう意味では混同する人は貴重な存在でしょう。

先入観がないわけですから接しやすいですし。「日本と中国は別の国だよ」とだけ伝えればOKでしょう。日本人だって相手がどこの国の人なのか分からないことはありますからね。この問題はお互い様ということで割り切るしかありません。

以上で終わりですが中国が悪いという話しではありません。日本人は日本が一番と言う話しです。くれぐれもお間違いのないようにしてください。

日本で犯罪を犯したら即死刑!恐ろしい勘違いをしている人もいる

死刑制度の存続か廃止か。この話しは政治や宗教が絡んだシビアな問題です。ですからここでどちらが良いとか、私がどっち派か、といったことを述べるつもりはありません。ただ国際情勢がこうだから廃止すべし、というのは違うとは思います。他の先進国にも死刑に賛成している人はいます。

そんな前置きをしつつ、さっそく本題です。日本が死刑制度のある国家であることは海外でも知っている人は知っています。そして中には日本と中国を混同している人もいます。確かに日本の人気は高いと思います。しかし全ての国、全ての人が知っているとは思わないことです。

日本を中国と同一に考えているという話しは次の機会に譲りますが、中国を抜きにしても死刑制度があるから日本人は野蛮と言われることがあります。それに誤解もあります。

「日本の犯罪が少ないのは死刑があるからだよね?」

このように聞かれたことがあります。でも、どうなんでしょうね。私としては違うと言いたい。でも死刑制度があるから殺人事件が少ないという側面はあるでしょう。しかし日本人はどちかといえば内向的です。衝動的に人を殺して、と考えるより内に向かう傾向があります。

例を挙げるなら海外ではストレートに言葉にして伝えます。時には激しく議論を戦わせることもあります。怒りっぽいという意味ではありませんよ?思ったこと、考えたことを真っ直ぐに相手に伝えるという意味です。相手に言いたいことをちゃんと伝える。ひいては自分らしさを出す。個性を表現する。そういった意味では素晴らしいことでしょう。

しかい反面もあます。自分の意見を主張するということは、場合によれば相手の意見にぶつけるということにもなります。洋画や海外のドラマを思い浮かべると分かると思います。強烈なリーダーシップを発揮してみんなを率いる。そんな風に個々がリーダーの資質を持とうと励んでいるように思えて仕方がありません。

もちろん全員ではありません。控えめな方もいますし、何でもかんでも思ったことを口に出すわけでもありません。異性へのプレゼントを買うときには日本人と同じように悩み、だからといって必ずしも誰かに相談するわけではありません。不快な目にあったからといって相手に直接伝えるなんてこともありません。

日本人の中には「外国人はなんでも言ってくるから話したくない」という人もいます。彼ら、彼女らだって人間ですよ?言うべきことは言いますが相手を気遣って話しています。ただ日本人が考える許容範囲より海外の人が考える許容範囲のほうが広いだけです。

それでも一つの団体にリーダーは1人で良い。このことを理解しながらも全員がリーダー気質を持っているため日本人の感覚からすると攻撃的に見えてしまいます。海外で犯罪が多いのもこういった対立思考があるからなのでは、と思わなくもありません。

だから日本に犯罪が少ないのはやっぱり国民性だと思うんですよね。思いたいだけかも知れませんが、とにかく外国に「右にならえ」ではなく自国で決めてもらいたいものです。

最後に日本の死刑制度に対する極端な勘違いをしていた人をご紹介しましょう。

「日本って物を盗んだだけで死刑になるんでしょ?」

どこまで野蛮なんだ、日本よ。どこの国のお話しをしているの?と言いたくなる話しですね。これには私も驚き増した。誰に聞いて、なぜそう思ったのか尋ねてみるとご多分も漏れず中国と混同しているみたいでした。しかし中国も窃盗罪で死刑なんてことはありませんよ。

結局「どんな国だよ!」と言い放った一幕のご紹介でした。この件については本当に紹介だけですのでノーコメントを貫きます。本当に困ったものです。

テレパシーで以心伝心!言葉はなくとも雰囲気で伝える日本の技術

「そういえばさ、日本のアニメってどうして動物がしゃべるの?」
「アニメだから」
「……」

こんなアホな会話があってもいいのでしょうか。私はどう答えれば良かったのでしょうか。アニメだからしゃべっている以外に答えようがありません。だいたい映画だって動物がしゃべる作品があるでしょうに。なぜに日本のアニメに限定するんじゃ。そんな憤りを覚えたものですが、こんなのは序の口です。

「ピカチュウ(アニメのキャラクターの名前)ってさ、しゃべらないのに通じてるよね?」
「ペットを飼ってると撫でて欲しいのか遊んで欲しいのか分かることがるでしょ?あれと一緒なんじゃないの?知らないけど」
「ああ。なるほど」

なんていう会話をしたこともあります。私はアニメには詳しくないのでピカチュウについてはキャラクターとして存在していることくらいしか知りません。ですから正確なことは分かりませんが調べてみるとあながち間違ってはいなかったようです。

「日本人ってさテレパシーでも持ってるの?」
「え? なんで?」
「だってNOって言わなくても伝えることができるんでしょ?」

もうお手上げです。意味が分からない。いえ、言いたいことは何となく分かりますが分からない。どう返していいのやら分かりませんでした。彼が言いたかったのは「NOと言えない日本人」というのはテンプレート的な話しでしょう。これも良く聞きますね。海外には日本人にNOと言ってはいけないという話しもあるくらい浸透しています。

何かで議論をすると、この差は顕著に出てきます。「それは違う」と意思を示すために「NO」と言います。討論番組で両極に位置する人が真っ向から対立するイメージに近いですね。討論番組なんかを見ていると「なんか下品だなあ」って思いますよね?

でも海外の人にとっては自分の意見を主張することが最も大切なことなのです。もちろんNOだけじゃなく「アイムソーリー・~」みたいな断り方もあります。柔らかい表現もありますから興味のある方は調べてみて下さい。

一方、日本ではどうかと言うと「そうかもしれないけど」みたいな言い回しをします。だから海外の人はイライラするんですね。例え相手が流暢な日本語を話したとしても、この回り道に慣れないそうです。

しかし日本人って言葉だけでは判断しません。声のトーンや大きさ、表情や仕草など、微妙な変化を感じ取って言いたいことを察します。こういうところが海外の人からすればテレパシーに分類されるのかもしれません。

ただ、相手を傷つけないように注意するあまり、言い回しがくどくなるということはあります。日本人同士でも「はっきり言え!」と心で叫ぶこともありますからね。日本人同士でもそうなんですからストレートに伝える海外の人からしたら尚更ですね。だからといって日本の言い回しが悪いのかというとそうでもありません。

どちらの言い分も正しくて間違えています。結局は郷に入れば郷に従えが正解でしょう。日本いたらやはり控えめが一番です。相手にも不快感を与えませんしね。ですが海外ならYES/NOをしっかりと伝える。これが海外流の思いやりです。

時と場所、そして相手にあわせて使い分けることが何よりも大切だという話しです。つまり私のようなカメレオンタイプが一番、ということですね。俗に八方美人とも言いますが私は男ですから気にしません。相手に不快感を与えないためですからね。自分が傷付かないためとも言いますが…別に相手の言葉に合わせるという意味でもないですし問題はないでしょう。

ということで是非ともカメレオンとなって対応してみて下さい。もしかしたら海外の方とも仲良くなれるかもしれませんよ?

日本人って時間にうるさい?これが日本人のステレオタイプ

日本の電車は時間に正確。これは良く聞く話ですね。徹底したマニュアル化によって分刻み、秒刻みで電車が走る。これは車掌さんや鉄道会社の努力の賜物でしょう。

こういった日本人の時間に対する考え方は称賛されると同時に「生き急いでいる」なんて揶揄されたりもします。そして「日本人は時間に正確で時間に対して潔癖」なんていうステレオタイプがあったりします。潔癖は私がつけただけですが間違いではないはずです。

確かに私も学生のときは「そんな急いでどこに向かっているんだろう」と腹の中で笑いつつ思ったことがあります。しかし社会人になってからは私も生き急ぐ仲間になり、そんな思いはなくなりました。

電車が時間通りに来るというのは出勤で利用する者にとって、大きなメリットになります。それに会社に遅れそうなときに電車の遅延があると「会社に遅れても電車が遅れたと言い訳ができる」なんて考えたこともあります。逆に遅刻しそうなときに時間通りに電車がくると落胆したり、ですね。不謹慎ですが私以外にもつい考えてしまう人はいると思います。これは社会人の性というものでしょう。

それに電車だけではなく友人との待ち合わせでも時間通りに行動します。ただし絶対ではありません。私の知り合いにはルーズな人がいまして10分20分の遅刻は当たり前。たまに先に来ていることはありますが、用事があって外に出ていただけ、なんて人もいます。しかし目上の人と約束をするとキッチリと守る。念のために言っておくと私のことではありません。

これは実に日本的な感覚ですね。年功序列には賛否両論ありますが、学生生活が基本的に年功序列です。1歳違いでも先輩と後輩であり、何歳になっても先輩と後輩です。それに目上の人を待たせるのは気分が良いものではありません。細かいことでグチグチ言う人は切り捨てますがそうでない人を待たせるというのはどうも感情的に許しがたいものがあります。これが日本人なのでしょう。

しかし私の知る限り、アメリカだと待ち合わせに遅れようと、目的を達することさえできればどうでも良いと考える人が多かったような気がします。序列より並列で考えるのがアメリカ人というところでしょうか。

こういった違いがあるから海外の人から見ると「日本人は時間にうるさい」と感じてしまうのでしょう。日本人の立場から反論すると時間にうるさいわけではなく、相手を気遣うという最低限のルールを守っているだけのことです。

学校で遅刻をしたら怒られるというのも、本来は他の人に迷惑をかけているから怒られるわけです。決して時間を守らなかったことを怒っているわけではないんです。これって似ているようで意味は違いますよね。

ですから日本人が時間にうるさいというのは間違いです。時間にうるさいのではなく、他人に迷惑をかけないように決められたルールを守っている、ということになります。極論ですが決められた時間に誰も来ず、20分後にみんなが一斉に来たということであれば誰にも迷惑をかけていないからOKとなります。まあ、現実ではあり得ませんけどね。

残念ながら日本人でも「時間を守る」という意味を誤解している人が多く、同様に海外の人も知りません。かくいう私も社会人になってから「時間をなぜ守るのか」ということを知りました。もし海外の人から日本人の時間について聞かれたら「時間ではなくルールを守っているだけです」と教えてあげてください。もっとも理解してもらえるかは微妙ですけどね。